ワンオペ親父の雑記

日々の日常建築屋の独り言と、ワンオペ親父の作る簡単飯、子供達への思いややりとり。
たまにちょっとした雑学等を雑記しています。
自己学習の場にもしていますのでご了承下さい。

記憶の旅路

記憶の旅路 3本目 自分が情けなくて悔しくて泣いた記憶。

記憶の旅路

小学校3年生の頃だったと思います。

今はどうかわかりませんが、

当時、私のクラスでは、

その月の誕生日おめでとうの会をしていました。

私は11月生まれなのですが、

確かほかに3人いたと思います。

机を動かして、スペースを作って、

誕生月の4人を前に並べて、

ほかの人は、間を空けて向かい合って、

誕生日の歌を歌ってお祝いをしてくれました。

そして、

最後に、

プレゼントを用意している人がいたら、

その場で渡すみたいなことがありました。

その時に、

私は、女子の一人から

手作りの軍手人形を貰ったんです。

何でしたっけ、当時人気のあった、「スパンク」?

女の子の名前は確か 金子さんだったと思います。

違ったかな?

今から、40年くらい前です。

さすがに名前をはっきりとは憶えていませんね。

男の子と女の子が、

小学生の頃から仲良くしているような時代ではありませんでした。

当然、

男子は男子。

女子は女子に渡すのが当たり前の時代。

うる覚えですが、

ほかの女の子に押されながら、

恥ずかしそうに渡してくれた顔を覚えています。

私は、

嬉しくて、

恥ずかしくて、

でも嬉しくて。

「ありがとう。」とだけ言ったと思います。

ですが、

その後が最低でした。

まぁ、当然と言えば当然なのですが、

冷やかされたんですよ。

今なら、

いいえ、

高校生くらいなら、

「うらやましいか?アホ」と

自慢して、

流せるのでしょうが、

小学生のチビには、

そして、

当時の私には、

その冷やかしが我慢できませんでした。

何でしょうね。

冷やかされるのが嫌で、

ぽろぽろと、

泣いてしまったのです。

私が、

泣いてしまったことで、

プレゼントを渡してくれた子も、

泣いてしまい。

ますます、

私は、

泣いてしまいました。

多分、

その子は、

私を、

好いていてくれたのでしょうね。

でも、

冷やかされたことで、

そのことを

素直に受け取ることができませんでした。

何でしょうね。

悪意の無い、

冗談みたいな冷やかしでも、

当時の私には、

受け流す小さな力も無かったんですね。

今でも、

ちゃんと記憶に残っていますから、

よほど恥ずかしくて、

悔しかったんでしょうね。

ですが、

その時のことで、

ちゃんと覚えていることがあって、

私は、

小学校6年生の時に、

親の借金による夜逃げで、

当時の家をあきらめたのですが、

私の部屋のノブには、

ずっと、

スパンクの軍手人形がぶら下げていたんですよ。

残念なようで、

幸せな記憶でした。

あの時の、

女の子、

幸せにしてると良いな。

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